2009年06月19日

楽譜そのものを芸術としてみる

「楽譜そのものを芸術としてみる」概念もダダの時代に開発された。

エルヴィン・シュールホフの「五つのピトレスケ」の第三曲は、全く意味をなさない顔文字と休符だけで全曲が構成された最初の音楽作品である。
同時期にアルフォンス・アレーの「耳の不自由なある偉人の葬儀のために作曲された葬送行進曲」という空白の小節のみで書かれた作品もある。
ジョン・ケージはこれらの作品を知らなかったにもかかわらず、後年独力で無音の「4分33秒」を書き上げることになった。
ディーター・シュネーベルの「モノ」は本を見て音楽を感じる本・楽譜であって演奏するものではない。
最近ではデスワルツのように、前衛の時代の図形譜のパロディがインターネット上で話題になることもあった。
1970年代(一説には1968年)以降のいわゆる「前衛の停滞期」以降は、調性感および音楽が喚起させる感情の復権を目指した新ロマン主義や新しい単純性など、過去の音楽への回帰をめざすマニエリスムと呼ばれる風潮が強まった。
バンジージャンプ
地球温暖化
体外離脱
白血病
花見
VDT症候群
元素周期表
油彩画
民話
翻訳
賃貸借
水上スキー
漢方薬
スキー
心療内科
妖怪
血液学
近畿地方
ウエストナイル熱
中国地方

しかしさらにそれへの反動として西ヨーロッパを中心に、聴き手により複雑な事象の認識を要求させる新しい複雑性やポスト構造主義、音波を科学的に分析して音楽に応用するスペクトル楽派など、エクスペリメンタリズムの音楽と呼ばれる前衛的な作曲傾向も見られる。

このように様式は様々であるが、それまでのクラシック音楽の常識であった調性(協和音)的な音響や規則的なリズムなど、一般に認知されている音楽言語から大きく逸脱したものが多い(ただしマニエリスムの音楽はその逸脱からの帰還を目指している)。

そのため一般的なイメージとして「聞きにくい」、「わけがわからない」などネガティブなものが多く、好んでこれらの音楽を聴く層はある程度限られる。しかし、芸術や人文科学の進歩としての活動、文化教育的な活動として、周辺芸術や人文科学関係(哲学など)にかかわる芸術家、学者、また愛好家たちを中心に、新たな音楽を求める活動を支持する層は存在する。演奏家や演奏団体も、自分たちの演奏表現として新たな音楽の発信にかかわりたいという考えから進んで現代音楽を取り上げる奏者もいる。また各国の文化政府や、芸術を支援する財団、あるいは公共放送局などからの保護と育成も受ける作曲家もいる。

2009年06月02日

テロリズム

テロリズム(英Terrorism、独Terror=テロル、テラー)とは、一般に恐怖心を引き起こすことにより、特定の政治的目的を達成しようとする組織的暴力行為、またはその手段を指す。

現代では行政組織・国家権力・社会・文明に対する過激派の暴力行為・冒険主義をさす事例が多く、最近ではその動機が多様化し、攻撃目標も要人から一般市民に変わってきている。歴史的には国家・行政組織側による暴力的抑圧(恐怖政治、粛清等)を含み、体制・反体制を問わず暴力と恐怖を活用することで大衆世論を支配する手段を意味した。
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テロリズムは暴力が関わる複雑な現象である。テロリズムの中核的な概念は「社会への何らかの訴えかけが意図された、物理的被害よりも心理的衝撃を重視する暴力行為」であると捉えることができる。[1]

古典的なテロリズムは古代から行われているが、定義されたのはフランス革命において行われた9月虐殺がきっかけであった。9月虐殺事件では反革命派1万6千人を革命派により殺害する恐怖政治を行った。[2]現代のテロリズムの手法はより複雑化しており、従来の革命勢力だけではなく、全体主義の政府、分離主義の政治勢力などのあらゆる社会集団がテロ活動を行い得るようになっており、冷戦後には強制外交の手段としてテロリズムは確立されている。[3]

テロリズムはあくまで物理的な成果ではなく心理的な成果を求める。具体的な方法としては爆発物を用いた公共施設へのテロ攻撃が典型的である。また日本の地下鉄サリン事件のような化学兵器の使用、またアメリカ同時多発テロやロンドン同時多発テロのような公共的な交通機関の転用などのような、社会への心理的効果が極めて大きい大規模テロが行われている。

2009年04月29日

天忍日命

天忍日命(アメノオシヒノミコト)は、日本神話の神。大伴氏の祖神とされる。

日本神話では、『古事記』の天孫降臨の場面にのみ登場する。『日本書紀』には現れない。久米氏の祖神とされる天久米命(アメノクメノミコト)と共に武装して瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の先導をした。

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『古事記』には出自が記載されていないが、大伴氏の系図などでは天忍日命(アメノオシヒノミコト)は高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)の子とされている。神武東征の際に随伴し、大伴氏の祖となった道臣命(ミチオミノミコト)は、その天忍日命(アメノオシヒノミコト)の曾孫とされている。

天忍日命を祭神とする神社は少なく、降幡神社(大阪府南河内郡河南町)、油日神社(滋賀県甲賀市)、矢保佐神社(長崎県壱岐市)などに祀られている。

2009年04月14日

哀 章(あい しょう、? - 23年)

哀 章(あい しょう、? - 23年)は、中国の新代の政治家、武将。王莽配下の人物。益州廣漢郡梓潼県の人。

最初は長安で学問をしていたが、平素から行いが悪く、大法螺を好んだ。初始1年(8年)11月、哀章は権勢を極める王莽に取り入るため、銅匱を製造し、そこに2種類の文書を添付した。一方の文書は「天帝行璽金匱図」とし、もう一方は「赤帝行璽某傳予黄帝金策書」(某とは漢の高祖劉邦の名)としている。更にそれらには、王莽が「真天子」となること、さらに、当時の8人の大臣に加え、王興、王盛、そして哀章の11人が官爵を得て王莽を補佐すること等を書き記した。斉郡に新たな井戸が湧き、巴郡で石牛が見つかったとの話を聞くと、哀章は黄昏時に黄色い衣服を着て、銅匱を高祖廟に捧げた後、僕射に献上している。

僕射の報告を受けた王莽は、これを機会に孺子嬰を廃して、自ら皇帝に即位し、国号を新と改め、元号についても同年12月朔日をもって始建国1年と改めた。哀章も、文書に基いて国将に任命され、美新公に封じられている。また、太師王舜、太傅平晏、国師劉歆と共に、四輔として上公に列せられた。

新での事跡 [編集]
哀章は重職に就いても、やはり昔からの行いの悪さは改まらず、その涜職ぶりは王莽配下の中でも突出していた。しかも王莽は、これを戒めるどころか、哀章のために勅令を発し、その親族をも哀章のために登用するよう通達している。

地皇3年(22年)冬、反新勢力が各地で勃興してくると、哀章は「黄帝の時代に、中黄直(人物名)が大将となり、蚩尤を撃ち殺しました。現在私は当時の中黄直の位にありますので、願わくば私を山東平定に向かわせてください」と王莽に進言した。王莽もこれに従い、哀章を東方に派遣して、太師王匡(以下、本記事では「王匡 (新) 」と表記)と共に反新軍に当たらせている。

哀章は王匡 (新) と共に洛陽を守備したが、地皇4年(23年)9月、漢復興を宣言した更始帝(劉玄)配下の定国上公王匡 (王匡 (新) とは別人)率いる軍の攻撃により、洛陽は陥落した。哀章と王匡 (新) は共に降伏したが、更始帝の根拠地である宛へ護送されて処刑されている。

ババロア フィラン マッチン ビジネス ハワイ ヒューズ ダグアウト マルチ プレムハブ スノーフ 流星群 にんきょう ミステ ぶんぶん ブラテ ハイヒール シングル ラバト ブルンジ バックオ ナッソー トラン ラムサー 鈴蘭 セラセラ つるみ マルセイ コピーイノ ゲーター ブラッド トパイ バーバレ パブリ レベニュ フォーム メタ いささや ハイウエイ ダルトン ハリアー ビーコン ガター サイドカー あぼがど ジンセン スプリング ユリノ ジャーゴン アニムス ビッドレ


2009年03月30日

極道、ヤクザ、暴力団

アイツキ(挨拶。付き合いの転倒語、アイツキ仁義とも)
アオバレ(晴天)
姐(あね)さん(組長の女房)
イケイケ(武闘派、タカ派)
ウタウ(謝る、白状)
オートン(自動車)
絵図(策略、騙し方のシナリオ)
エダ(枝。下部組織、主に三次団体を指す。組織を木に見立てて二次団体以上の本家筋を話題にすれば三次団体がエダ)
一本独鈷(何処にも所属していない独立した組織。)
エモノ(得物から。所持する武器全般)
エンコ詰め(指詰め)
オツトメ(服役)
カスリ、ショバ代(みかじめ料、上納金)
カチコミ(抗争)
ガラ(身柄)
キス(酒。キスは好きな行為始め、好物といえば酒。連想作用した用語)
キスグレ(泥酔。グレはグレる、愚連隊、与太者)
くさい飯(懲役 刑務所の給食から)
ゲソ(靴)
ヨウゲソ(洋物の靴)
ケツ持ち(仲介人、バックボーン)
盃(縁組)
サクイ(臭い、匂う)
シャリ(米、飯。舎利)
銀シャリ(白い米の飯)
さらう(拉致)
寒い所・旅に行っていた(北の刑務所に行ったいた)
仕事(違法行為、恐喝・殺人など不当な資金獲得行為)
仕事師(イカサマ師)
実子分(主に跡目候補を指す。擬似血縁関係を模した義理の親子の子に相当する意)
四方同席(上下関係のない席)
シノギ(稼業、凌ぎ)
シマ(縄張り)
シャブ(覚醒剤)
ショバ(場所、縄張り)
スケ(女、愛人)
ダイガク(刑務所。自由を奪われて本を読んで勉強することから。留学、別荘とも)
タマ(命、人身売買的な女性も指す)
ダンベエ(旦那衆、スポンサー)
チカヅキ(挨拶。近付き)
チャカ・ハジキ・道具(拳銃)
チンコロ(密告)
テラ銭(賭場における胴元の取り分)
ドス (小刀)
ドン(リーダー、首領)
バイニン(麻薬、覚醒剤などの密売人)
バシタ(女性、男稼業では立場が下)
ハッパ(麻薬)
ハンメ(反目、対立を指す。博徒で賭けている反対の目が出ることから。)
ヒトマワリ(期限付きの追放。)
ピュー(逃走、特に抗争から逃げ出すこと)
ブタ箱(留置場)
ペー(ヘロイン)
ペーカン(「ペーの患者」=ヘロイン中毒者)
彫り物、モンモン、クリカラモンモン(刺青)
ポンプ(注射器)
メンツー(面通。挨拶、的屋系ヤクザの庭場挨拶)
ムショ(刑務所)
ヤク(麻薬や覚醒剤他、禁制薬物すべて)
ラッパ(嘘、大嘘)
レンコン(リボルバー式拳銃)
※一般人がヤクザ自体を「その筋」、「ヤッちゃん」、「ヤの付く自営業」など隠語的に語るケースもある。
大和撫子 きゃく サバンナ スキニー 情熱支援 ジャング ナリー ハンドカ ヒットパレ シリング ファンキー サーモス カペラ サラリー ニッケ フリフリ シュプネ ルサン レセプト パング テーション ジェロ スイス イライン おりあお パラシ バーゼル 夢街道 桜雨1押 ノート ワスレ どんしゅう プリン ジャスラック レア日本 永遠偉 白い街 パイロット ブイディ ストーブ チャウダ トカラ 管弦 アビブ スター スティック オモ モカ モンタナ ほうすう

受験 [編集]
赤本(教学社が出版している大学の過去問集。大学別に製本されている。またほかにも青本、白本、黒本、緑本などもある)
過去問(カコモン。過去の問題)
悪問(問題文の解釈次第で解答を複数見出せるなど、試験として出題するには不適切な問題のこと)
捨て問(大学受験レベルでは解答できない問題であり、受験生はその問題に対する解答を諦めざるを得ないような問題のこと)
足切り(二段階選抜のこと。適切な表現で無いとされるが、現在でも良く使われる)
一本(本命の志望校だけを受験すること)
滑り止め(本命の学校以外に、不合格時のための保険を掛けて他の学校を受験すること)
Fラン(Fランク大学。偏差値のきわめて低い大学)
仮面浪人(第1志望ではない大学に通いながら、第1志望の大学への大学受験浪人生活をすること)
宅浪(予備校に通わず自宅で学習して大学受験浪人生活をすること)
センター(大学入試センター試験の略)
ムーミン(東洋大学の三月入試。関東では難関校に入学できる最後のチャンス。東洋大学がムーミンの使用権を得ていることから)
「早慶」「MARCH」「関関同立」など、レベルなどの似通った大学同士をまとめて呼ぶ言葉がある。大学群を参照。
蹴る(合格通知をもらったにも関わらず、その学校に入学しないこと。多くは他の学校に入学するか、浪人生になる)

酒類 [編集]
サカリ(日本盛)
サンゴー(缶飲料で一般的な大きさである350ml缶)
シボリ(麒麟麦酒の一番搾り)
ドライ(アサヒビールのヒット商品アサヒスーパードライ)
プレモル(サントリーのプレミアムモルツ)
ルース(バラの24缶入りケース)
CC(カナディアンクラブ)
新ジャンル(第三のビール)

2009年03月16日

書跡・典籍、古文書

弘法大師筆尺牘(風信帖)(こうぼうだいしひつせきとく・ふうしんじょう) - 「尺牘」とは漢文体の手紙のこと。空海自筆の手紙3通を巻物に仕立てたもので、日本書道史上きわめて貴重な作品である。1通目の手紙(最澄あて)の冒頭の「風信雲書」という句にちなんで「風信帖」と通称される。
弘法大師請来目録 - 空海が唐から持ち帰った品の目録で、筆者は最澄である。
後宇多天皇宸翰東寺興隆条々事書御添状(ごうだてんのうしんかん とうじこうりゅうじょうじょうことがき おんそえじょう) - 「宸翰」は「天皇の自筆」の意。弘法大師に帰依した後宇多天皇が、出家の翌年に東寺の発展を願って書き記したもの。
東宝記 - 南北朝から室町時代に成立した、東寺の公式記録書。

重要文化財 [編集]

建造物 [編集]
講堂
慶賀門
東大門
南大門
北大門
北総門
宝蔵
灌頂院、同北門、同東門
五重小塔

絵画 [編集]
絹本著色十一面観音像
絹本著色不空羂索観音像
絹本著色両界曼荼羅図4点(甲本、乙本、永仁本、元禄本)
絹本著色両界曼荼羅図(敷曼荼羅)
紙本著色弘法大師行状絵詞 12巻
紙本墨画蘇悉地儀軌契印図(伝宗叡請来)
紙本墨画胎蔵曼荼羅略記
密教図像10点(火羅図 1幅、仁王経法本尊像 5幅、聖天像 1幅、大元帥明王像(六面八臀像)1幅、大元帥明王像(六面八臀像)1幅、大元帥明王像(四面八臀像)1幅、 大元帥曼荼羅図(十八面三十六臀像)1幅、大元帥曼荼羅図(四面八臀像)1幅、請雨経曼荼羅図 1幅、六大黒天像 1幅)

彫刻 [編集]
木造薬師如来及両脇侍像(金堂安置)
木造大日如来坐像、附・金剛界四仏坐像(講堂安置)
木造千手観音立像(旧食堂本尊)
木造聖僧文殊(しょうそうもんじゅ)坐像
木造地蔵菩薩立像
木造観音菩薩・梵天・帝釈天立像(二間観音)
木造五大虚空蔵菩薩像(伝恵運将来)(所在観智院)

工芸品 [編集]
鈸子(ばっし)一対
金銅大鋺2口・金銅鋺7口・金銅皿5枚・金銅鋺蓋8枚
金銅舎利塔
金銅鉢 5口
金銅羯磨 4口
刻文脇息
漆皮箱
水精念珠
法会所用具類(ほうえ しょようぐるい) 39点(舞楽水引 6枚、蛮絵袍 2枚、舎利会装束(衣二領、袴二腰)2組、舎利会装束衣 2領、舎利会装束大口 2腰、舎利会散花机前垂(赤蓮華文錦) 1枚、奚婁(けいろ)1口、鼗(ふりつづみ)1口、羯鼓(台付)1口、 鼓胴(皮各二枚付)2口、鉦鼓 1口、木履 5両、十二天持物 13本)
木造彩色大壇

書跡・典籍、古文書 [編集]
絹本著色弘法大師像 画賛(伝後宇多院宸翰)あり(談義本尊)
悉曇蔵 巻三、巻八
宋版一切経(うち和刻本7帖、補写本18帖)6,087帖
宋版大般若経(うち補写本9帖)642帖
大般若経 597巻
大般若経(神泉苑寄進経)587帖
大仏頂陀羅尼
仏説灌頂経 12帖
本朝明匠略伝 下
東寺観智院聖教類(しょうぎょうるい) 15,402件
弘法大師遺告(絹本)
後醍醐天皇塔供養御願文
舎利奉請文 後光厳院宸翰
舎利奉請誡文 後醍醐院宸翰
庄園敷地施入状 後宇多院宸翰 2巻
東寺文書(六芸之部) 91巻

考古資料 [編集]
平安京古瓦 3箇

東寺旧蔵の国宝・重要文化財 [編集]
以下は諸般の事情で第二次大戦後に寺の所有を離れたもの[7]。


国宝 [編集]
絹本著色十二天像 12幅(京都国立博物館蔵)-平安後期の色彩華麗な仏画。
絹本著色山水屏風(せんずいびょうぶ)(京都国立博物館蔵)-密教の儀式の際、道場に立てられた屏風。平安後期。
牛皮華鬘(ごひけまん)(奈良国立博物館蔵)
後宇多院宸記(国立歴史民俗博物館蔵)
三宝絵詞(東京国立博物館蔵)
入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)(岐阜県・法人蔵)
類聚名義抄(天理大学蔵・天理図書館保管)

重要文化財 [編集]
(京都国立博物館蔵)木造十二天面 7面
(奈良国立博物館蔵)七大寺日記
(国立歴史民俗博物館蔵)後醍醐院消息
(MOA美術館蔵)絹本著色求聞持曼荼羅図、絹本著色童子経曼荼羅図、諸尊図像、伝法正宗定祖図、九曜星図像、仁王経法図像、太元明王図像、白描曼荼羅集、星曼荼羅図残欠、白銅水瓶、彩絵曲物笥、黒漆螺鈿礼盤、雑伎彩絵唐櫃
(天理大学附属天理図書館蔵)古文尚書巻第十一、世俗諺文上巻、類聚三代格巻第三、作文大躰、古文孝経、蒙求 康永四年書写、蒙求 建永元年及建保六年奥書、文選巻第廿六
(岐阜・法人蔵)絹本著色閻魔天像、絹本著色愛染明王像、絹本著色宝楼閣曼荼羅図、雲龍図 円山応挙筆、銅造菩薩立像
(個人蔵)絹本著色仏眼曼荼羅図、絹本著色普賢延命像

指定解除された重要文化財 [編集]
木造四天王立像(旧食堂安置) - 昭和5年(1930年)12月21日の「弘法市(終い弘法)」の日に食堂(じきどう)が失火で焼失した際、内部に安置されていた本尊千手観音立像と四天王像(いずれも旧国宝)も焼損。千手観音像の旧国宝指定は解除されなかったが、四天王像は焼損の程度が大きかったため指定解除された。この四天王像は黒焦げ状態にはなっているものの、像の概形は残っている。平成5年(1993年)から合成樹脂注入による表面の硬化が行われ、現在は再建された食堂に安置されている。像高3mを越える日本でも最大級の四天王像である。
トロラン マケド サイフォ 支援ハム ファー キール ジェット レーダー ロールオ デイゲ モール かでな ルーレット タラソテ アーク コート ユークリッ さがほのか ピュービッ チリメン マーク リスク シルク カーゴ 未来の地図 ほこた クローズ ナチズ リバイ スベタパ イヌホ 一所懸命 リズミカル ジンマオ 星空の ロマンチスト ヒメジョオ ケジャン フェースラ デコサ タート ニンフ パラフェニ 浮草の宿 プレイボ カミーン チボール かせい アイト ユキモチ

弘法市 [編集]
毎月21日は弘法大師にちなみ「弘法市」が開かれ、縁日が並ぶ。この市は俗に「弘法さん」と呼ばれて親しまれている。特に師走21日の「終い弘法」には、多くの人々が詰めかける。

2009年02月26日

デジタルモンスター

デジタルモンスターはウィズが企画し、大手玩具メーカーバンダイが発売した携帯育成ゲーム、及びそれに登場するキャラクターの名称。略称は「デジモン」。

1997年にモンスターを育てる携帯ゲーム、『デジタルモンスター』の第一弾を発売。バンダイの商品ですでに成功していた育成ゲームたまごっちにバトル要素を加えた、男の子向けの「戦うたまごっち」をコンセプトとした。発売後、すぐに大ヒットとはならなかったが、後続のシリーズがリリースされていった結果、小中学生を中心に徐々に知名度と人気は高まり、日本全国の都市圏でデジモンキーやボルケーノ太田を司会者とするD-1グランプリという公式大会も開かれた。1999年にアニメ化・放送が開始されるが第一弾のアニメ『デジモンアドベンチャー』が大好評を博し、米国をはじめとする海外でもヒット。携帯ゲーム以外でも、「デジモンワールドシリーズ」を筆頭とするビデオゲームやトレーディングカードゲーム、漫画等が次々とリリースされるなど、メディアミックス戦略が功をなしてデジタルモンスターはキャラクターとしてその地位を一気に高めた。しかし、そのメディアミックス戦略により、数々の設定が生まれては消え、各世代のユーザーごとに混乱や不満を招いていることもまた事実である。また、デジタルモンスターそのものの世界観があり専門用語が数多く存在するが、全てのユーザーにはしっかりとは伝わっておらず、ユーザーは最も身近であるアニメやその周辺商品の設定を基準としている場合が多い。

現在でも新シリーズが登場し続けており、デジモンの個体種類と総数ははっきりとしておらず、かつ同名異種・同種異属性が多く『狭義ではデジモンでないデジモン(デ・リーパー、デクスモンなど)』の存在もあり、正確な数の把握は困難であるが、その数はおよそ800体以上である。

キャラクターデザインの大部分はウィズのチーフデザイナーである渡辺けんじを中心とし、ボルケーノ太田、北河原真の三人で行っている。また、カードゲームの企画において様々なイラストレーターがイラストを描いたが、その中からAs'まりあとnaoyaが前述の三人に加わり公式イラストを手掛けたこともある
デジタルモンスターは「デジタルワールド」と呼ばれるコンピュータネットワーク上の擬似電脳空間に生息する人工知能を持った架空の生命体である。様々な属性や世代に分かれており、現実の世界に存在する生物や機械、神話・伝説上の神・英雄等々を模した多様な種族が存在する。

デジモンはデジコア(電脳核)と呼ばれる彼らの心臓のような物に姿形や性質の情報が組み込まれており、その情報を元にワイヤーフレームで骨格が作られ、テクスチャが貼られ、デジモンの身体は構成されている。

デジモンは主にデジタルワールド上の食物を食べて生活し、さらにはネット内の様々なデータやプログラムも吸収し餌としている。また、デジモンの生命活動を維持するためには電気が必要であり、これは人間で言う酸素に相当する。デジモンは現実の生物と同じように卵(デジタマ)から誕生し、病気や怪我などの外的要因や寿命で死亡する。

大人しい気性のデジモンもいるが、基本的に野生の本能による闘争心が強い種族であり、“戦闘種族”や“戦う種”とも称され、デジタルワールドはほぼ常に戦いに満ちている。

デジモンは成長の節目でより強力な形態へと(進化によってはそれまでより弱い姿へと)「進化」する。この「進化」は現実の生物の進化とは異なり、その個体が自らの構成データを大きく書き換え成長すること言う。成熟期に至るまでは元々持っている因子や、生活の仕方や戦闘経験、住まう環境の変化などにより、様々な進化形態へと分岐する。

成熟期以上のデジモンは他のデジモンたちと戦い、勝って勝率を上げることでより強力な完全体や究極体のデジモンへと進化することができる。また、過酷な環境の変化に耐えうることも、今後の完全体、究極体への進化に影響する。デジモンは基本的には年齢で進化し、進化する年齢の平均は各世代ごとに決まっていたが、最近はアイテムの摂取による進化など、多様な方法での進化が行われている。

見た目や性格などで性別があるようにも見えるが、実際にはオス・メスの概念は無い。従って生殖は行わず、結婚や家族という概念も持たない場合が多い。ただし死ぬ間際に自らのデータを転写したデジタマを残す場合もある。初期の設定では野生のデジモンは一般的なコンピュータウィルスと同じく自己増殖機能を持っているとされていた。

進化段階
デジモンには進化の段階があり、基本的に誕生から順に幼年期Ⅰ、幼年期Ⅱ(それぞれ幼年期前期、幼年期後期ともいう)、成長期、成熟期、完全体、究極体の六段階に分類される。幼年期はⅠとⅡがセットになる場合もある。また、例外的な進化段階である、アーマー体、ハイブリッド体、超究極体に分類されるものもいる。他にも進化段階は変わらないが、一部のデジモンには力を開放や変質した姿である○○モン・□□モードなどと呼ばれる姿が存在する(例外として何体か、モードチェンジと同時に進化段階が変わるデジモンがいるが、これらはモードチェンジと進化段階の変化を同時に行っているものと思われる)。

属性
デジモンの大部分はワクチン、データ、ウィルスの三属性に分類される。それぞれジャンケンのような関係になっており、

ワクチン種はデータ種に弱くウィルス種に強い。
データ種はウィルス種に弱くワクチン種に強い。
ウィルス種はワクチン種に弱くデータ種に強い。
ただし例外的な属性である、無・フリー・不明・ヴァリアブル等に分類されるものもいる。

種族
各デジモンは研究者の観点から"~デジモン"、または"~型デジモン"と称される。これらの系統はデジモンに含まれる「因子」のデータによっても決められるが、ただし、各作品内で大まかに系統を分けられることがあるが、それぞれの作品ごとに異なり統一された系統とは言えず、特に定まっているものではない。

軍団・勢力
デジタルワールドに存在する、さまざまな集団を記載する。公式設定上のデジタルワールドには、全ての軍団、勢力が存在している、もしくは存在していたことになっているが、ゲーム、アニメ、漫画での設定上のデジタルワールドでは、これらの集団のいずれかが「いない」設定であることも多い。
リクエ ロジック ヒエラル ピーピーエ ラチェット カクシダ インタレ おおは ビジョ ラック プラム 菜の花 さとうき ビルボ ジュース ドウダ ぐぁば ラディ ロープ キャデ ブラッ かかお シューズ 総合ツタ ドクトル かじか オガタ ハルニレ シンプレ スカート あくふ スペルマ ロット モレーン キャッ スプリン たいめし支 テンソ モー シニフィ オウツ ファーザー ヒドラ レッドス ばらいろ ルビ ガーナイト コペン ワエロ フィス

オリンポス十二神族
ギリシア神話のオリュンポス十二神のローマ神話での呼び名をモデルにした神人型デジモン達。 それぞれ何かの動物のマスクをかぶったような姿をしている。

三大天使・神々の軍団(神々の隊列)
『神』によって『神』の三つの側面を分け与えられた3体の究極体。
熾天使型のセラフィモン、智天使型のケルビモン、座天使型のオファニモンからなる。
これらのデジモンのタイプは『天使の階級』の上級三隊をモデルにしており、中級三隊、下級三隊も主天使型のドミニモン、力天使型のクラヴィスエンジェモン、能天使型のスラッシュエンジェモン、大天使型のホーリーエンジェモンとエンジェウーモン、天使型のエンジェモン、ダルクモン、ピッドモン、としてそれぞれモデルにされている。

七大魔王
悪魔・堕天使系や魔人系デジモンの頂点に君臨する七体の魔王型デジモン達。モチーフは七つの大罪。そしてその上にオグドモンがいることが発覚した。
憤怒のデーモン
暴食のベルゼブモン
色欲のリリスモン
傲慢のルーチェモン フォールダウンモード
強欲のバルバモン
嫉妬のリヴァイアモン
怠惰のベルフェモン
からなる。

ルーチェモンが更なる力を手にしたデジモン・ルーチェモン=サタンモードは『黙示録の竜』をモデルにしており、頭上に『大罪の冠』として解説されている発光する7つの円形の紋章を浮かべている。これらの紋章は太陽系の7つの惑星記号と共に、オリンピアの天使の7つの封印を意味する記号(en:Seven Archangelsを参照の事。)をベースにしている。これらの記号はカードダスBx-148に登場した『大罪の門』にも刻まれている。

2009年02月10日

承和の変/藤原良房

承和の変(じょうわのへん)は平安時代初期に起きた藤原氏による最初の他氏排斥事件とされている事件である。
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823年(弘仁14年)、嵯峨天皇は譲位し、弟の淳和天皇が即位した。ついで皇位は、833年(天長10年)嵯峨上皇の皇子の仁明天皇に伝えられた。仁明天皇の皇太子には淳和上皇の皇子恒貞親王(母は嵯峨天皇の皇女正子内親王)が立てられた。嵯峨上皇による大家父長的支配のもと30年近く政治は安定し、皇位継承に関する紛争は起こらなかった。

この間に藤原北家の藤原良房が嵯峨上皇と皇太后橘嘉智子(檀林皇太后)の信任を得て急速に台頭し始めていた。良房の妹順子が仁明天皇の中宮となり、その間に道康親王が生まれた。良房は道康親王の皇位継承を望んだ。道康親王を皇太子に擁立する動きがあることに不安を感じた恒貞親王と父親の淳和上皇は、しばしば皇太子辞退を奏請するが、その都度、嵯峨上皇に慰留されていた。

840年(承和7年)、淳和上皇が崩御する。2年後の842年(承和9年)7月には、嵯峨上皇も重い病に伏した。これに危機感を持ったのが皇太子に仕える春宮坊帯刀舎人伴健岑とその盟友但馬権守橘逸勢である。彼らは皇太子の身に危険が迫っていると察し、皇太子を東国へ移すことを画策し、その計画を阿保親王(平城天皇の皇子)に相談した。阿保親王はこれに与せずに、逸勢の従姉妹でもある檀林皇太后に健岑らの策謀を密書にて上告した。皇太后は事の重大さに驚き中納言良房に相談した。

7月15日、嵯峨上皇が崩御。その2日後の17日、仁明天皇は伴健岑と橘逸勢、その一味とみなされるものを逮捕し、六衛府に命じて京の警備を厳戒させた。皇太子は直ちに辞表を天皇に奉ったが、皇太子には罪はないものとして一旦は慰留される。しかし、23日になり政局は大きく変わり、左近衛少将藤原良相が近衛府の兵を率いて皇太子の座所を包囲。出仕していた大納言藤原愛発、中納言藤原吉野、参議文室秋津を捕らえた。仁明天皇は詔を発して伴健岑、橘逸勢らを謀反人と断じ、恒貞親王は事件とは無関係としながらも責任を取らせるために皇太子を廃した。藤原愛発は京外追放、藤原吉野は大宰員外帥、文室秋津は出雲員外守にそれぞれ左遷、伴健岑は隠岐(その後出雲国へ左遷)、橘逸勢は伊豆に流罪(護送途中、遠江国板築にて没)となった。また、春澄善縄ら恒貞親王に仕える東宮職・春宮坊の役人が多数処分を受けた。

事件後、藤原良房は大納言に昇進し、道康親王が皇太子に立てられた(後の文徳天皇)。

通説においては、承和の変は藤原氏による他氏排斥事件の初めで、良房の望みどおり道康親王が皇太子に立てられたばかりでなく、名族伴氏(大伴氏)と橘氏に打撃を与え、また同じ藤原氏の競争相手であった藤原愛発、藤原吉野をも失脚させたとされている。ただし、藤原氏の2名はともかく伴健岑や橘逸勢は伴氏・橘氏でも傍流に過ぎないこと、切れ者とはいえ当時中納言で太政官での序列が第6位でしかなかった良房ひとりが中心となってこのような事件を起こす(しかも上位者2人の排斥を含む)ことは不可能であること、『日本三代実録』において恒貞親王の生母で橘嘉智子の実の娘でもある正子内親王(淳和天皇皇后)がこの事件で激しく母を恨んだと記されていることから、この事件の背後には、仁明天皇あるいは橘嘉智子による廃太子の企てがあったとする説もある。これは奈良時代以来、廃太子の際には何らかの容疑が付けられていること、同年4月以後内裏の修理を理由として天皇が当時恒貞親王が居住していた冷然院内に滞在しており、天皇の警護を名目として院内に滞在していた天皇側の兵が、いつでも皇太子を囲むことが出来る状況下にあったことが挙げられる。

この後、良房は昇進を重ね、ついに人臣最初の摂政・太政大臣にのぼり、藤原氏繁栄の基礎を築く。

藤原 良房(ふじわらの よしふさ、延暦23年(804年) - 貞観14年9月2日(872年10月11日))は、平安時代初期の公卿。藤原北家・藤原冬嗣の二男。母は藤原美都子。子に明子、養子に基経。染殿、白河殿と称される。

承和の変で妹の生んだ皇子を立太子させ、その文徳天皇が即位すると朝政を掌握し、太政大臣に昇った。娘を入内させ、生まれた皇子を東宮となし、文徳天皇が若くして崩御して、幼い清和天皇が即位すると人臣最初の摂政となり、後の藤原北家全盛の礎をつくった。

嵯峨天皇に深く信任された優秀な廷臣であった藤原冬嗣の二男として生まれた。選ばれて嵯峨天皇の皇女源潔姫を降嫁される。

淳和天皇の天長年間(824年-834年)蔵人に補せられ、従五位下を授けられる。妹の順子は東宮(皇太子)正良親王(後の仁明天皇)の妃であり、道康親王を生んでいる。また、良房は父に引き続いて嵯峨上皇と皇太后橘嘉智子に深く信任されていた。

仁明天皇の承和年間(834年-848年)に正三位に叙せられ、蔵人頭に補せられ、参議を経て権中納言に遷り、陸奥出羽按察使、右近衛大将を兼ねる。

仁明天皇の東宮には淳和上皇の皇子恒貞親王が立てられていたが、承和9年(842年)の嵯峨上皇の崩御直後に起きた承和の変で恒貞親王が廃され、道康親王が立太子される。事件後に大納言に転じて、民部卿、左近衛大将を兼ねた。

承和11年(844年)に道康親王が即位する(文徳天皇)。良房は潔姫が生んだ明子(あきらけいこ)を女御に入れた。承和15年(848年)に右大臣を拝す。嘉祥3年(850年)明子は第四皇子惟仁親王を生み、僅か生後8カ月で直ちに立太子させた。これは先例のないことだった。

嘉祥4年(851年)正二位に昇り、翌年、左近衛大将を兼ね、国史(続日本後紀)を監修する。斉衡4年(857年)太政大臣を拝命した。次いで従一位へ進む。

良房には嗣子がいなかったため、兄の藤原長良の三男、藤原基経を養子とした。また、同じく長良の娘の高子を惟仁親王に嫁がせ、次代への布石も打った。高子は在原業平との恋愛で有名で、惟仁親王より9歳も年上だった。

文徳天皇は第一皇子惟喬親王(母は紀名虎の娘)を愛し、惟仁親王が幼すぎることを案じて、まず惟喬親王を立て、惟仁親王の成長の後に譲らせることを考えたが、良房を憚って決しないうちに天安2年(858年)に崩御してしまい、良房は9歳の惟仁親王を即位させた(清和天皇)。『公卿補任』ではこの時に摂政に就任して貞観6年(864年)清和天皇の元服とともに、摂政を退いたとするが、正史である『日本三代実録』の清和天皇即位の記事には摂政に関する記述がないことから、良房は太政大臣として天皇を後見したと考えられている(当時、太政大臣の職掌には摂政と同様に天皇の後見する役目が含まれており、両者の職掌が明確に分離されたのは基経の時代である)[1]。清和天皇は幼少期に良房の邸宅で育てられたので、良房を終始深く信任していた。

貞観8年(866年)に起きた応天門の変では、大納言伴善男を失脚させ、事件に連座した大伴氏、紀氏の勢力を宮中から駆逐する。この年の8月19日、清和天皇は良房に「摂行天下之政(天下の政(まつりごと=政治)を摂行しむる)」とする摂政宣下の詔を与えた。これが人臣最初の摂政である。

法制の整備に力を入れて、「貞観格式」を完成させた(格は貞観11年(869年)、式は貞観13年(871年)に公布)。

貞観13年(871年)、准三宮を宣下されるが、それから数ヵ月後の貞観14年(872年)に死去した。正一位を追贈され、忠仁公と諡された。

人臣としてはじめて摂政の座に就き、位人臣を極め、権力は良房の家に集まり、その子孫は相次いで摂関となる。

系譜
父:藤原冬嗣
母:藤原美都子(父:藤原真作)
妻:源潔姫(父:嵯峨天皇)(810年-856年)
女子:藤原明子(文徳天皇女御)(828年-900年)
養子:藤原基経(836年-891年)

官歴
※日付=旧暦

814年(弘仁5年)、嵯峨天皇より皇女の潔姫を降嫁
826年(天長3年)1月、蔵人に補任。  2月、中判事に遷任。
828年(天長5年)1月7日、従五位下に叙位。 閏3月9日、大学頭に任官。
830年(天長7年)5月、春宮(のちの仁明天皇こと、正良親王)亮に遷任。  11月、越中権守を兼任。  閏12月、加賀守を意兼任し、越中権守を去る。
833年(天長10年)2月、左近衛少将に転任し、加賀守如元。  2月、蔵人頭に補任。左近衛少将如元。  3月6日、従五位上に昇叙し、蔵人頭・左近衛少将如元。  8月14日、正五位下に昇叙し、蔵人頭・左近衛少将如元。  11月18日、従四位下に昇叙し、左近衛権中将に転任。蔵人頭如元。
834年(承和元年)7月9日、参議に補任し、左近衛権中将如元。
835年(承和2年)1月7日、従四位上に昇叙し、参議・左近衛権中将如元。  4月7日、従三位に昇叙し、権中納言に転任。  4月15日、左兵衛督を兼任。
839年(承和6年)1月11日、陸奥出羽按察使を兼任。
840年(承和7年)8月8日、中納言に転任し、左兵衛督・陸奥出羽按察使如元。
842年(承和9年)1月7日、正三位に昇叙し、中納言・左兵衛督・陸奥出羽按察使如元。  7月11日、右近衛大将を兼任し、左兵衛督を去る。  7月25日、大納言に転任し、左近衛大将を兼任。陸奥出羽按察使如元。  8月11日、民部卿を兼任し、陸奥出羽按察使を去る。
844年(承和11年)2月、陸奥出羽按察使を兼任。
848年(承和15年)1月10日、右大臣に転任し、右近衛大将如元。
849年(嘉祥2年)1月7日、従二位に昇叙し、右大臣・右近衛大将如元。
851年(嘉祥4年)11月7日、正二位に昇叙し、右大臣・右近衛大将如元。
854年(仁寿4年)8月28日、左近衛大将を兼任し、右近衛大将を去る。
857年(斉衡4年)2月19日、太政大臣宣下。左近衛大将を去る。  改元して天安元年4月19日、従一位に昇叙し、太政大臣如元。
858年(天安2年)11月7日、摂政宣下。太政大臣如元(但し、『公卿補任』のみで正史『日本三代実録』には当該記録なし)。
864年(貞観6年)、摂政を去る(同上)。
866年貞観8年)8月19日、摂政宣下。太政大臣如元。
871年(貞観13年)4月1日、准三宮宣下
872年(貞観14年)9月2日、薨去。享年69.   9月4日、贈正一位。忠仁公の諡号を賜る。

2009年01月24日

職場いじめ(しょくばいじめ)

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職場いじめ(しょくばいじめ)は、職場における同僚や上司などによるいじめのこと。モラルハラスメント(精神的ハラスメント)、パワーハラスメント(和製英語)、セクシャルハラスメントと呼ぶこともある。21世紀に入り、日本や欧州などで注目され始めた。

職場いじめは、いじめる側がグループを組んで行う事が多い[1]。そのため、状況が複数対一人という不利な状況に陥りやすい[1]。

また、いじめる側が上司などの場合、話し合いの場などで「あれは指導」と答えて会社側に責任はないとするケースがほとんどといった状況で、会社側も一部の責任者が勝手にやったという事で片付ける場合も多い。これは、いじめの定義が難しいことも影響している[1]。

また社員同士だけではなく、社員が派遣社員やアルバイトに対していじめや差別・冷遇を行うケースも多い。本来、派遣やアルバイトも雇用形態が違うだけで立場が低いという事はないのだが、日本では正社員が派遣やアルバイトより偉いという風潮が根強く、事件性がない限りは黙認される事が多い。(アルバイト、派遣社員の項目も参照)

企業にとっても、「「あれは指導」と答えて会社側に責任はない」と上述したが、個別労働紛争解決制度でいじめを原因とした相談件数が増加するなど、職場いじめは企業にとってもリスク要因となりつつある。

状況
日本産業カウンセラー協会が行ったアンケート調査(調査対象440名)では、以下のとおりとなっている[3]。

約8割で職場いじめの相談等がある
職場いじめのうち、約8割がパワハラ
行為は、「罵る・怒鳴る・威嚇する」が一番多い(68%)。次いで、「仲間外れ」(54%)
いじめる側といじめられる側との関係は、「上司と部下」が一番多い(85%)
21世紀職業財団が2004年3月に行った「職場におけるハラスメントに関するアンケート」(回収数638社、回収率18.8%)によれば、

セクシャルハラスメントが43.9%
パワーハラスメントはが34.2%
その他の職場のいじめ・嫌がらせが28.0%
以上の状況が、調査返送の企業で見られた[4]。

原因
いじめる側が、いじめる対象に対し何らかの感情(多くは脅威と見なす)を持つと、いじめに走りやすい[1]。背景には、「職場環境に弱肉強食の理論が持ち込まれてしまっている」といった指摘や立場の弱い人間への蔑視・軽視・利己的な態度や屈従させる様な態度などがある[3]。このため、いじめられやすいタイプには「異様に仕事ができる人[1]」または逆に「仕事ができない人」「要領の悪い、世渡りの下手な人」「社外に強力なネットワークを持つ人[1]」などが挙げられる。他には、「ひとりで(自分勝手な行動も含む)行動を取りがちな人[1]」「友人が少ない人[1]」「コミュニケーション能力が(相対的に)低い人」などもいじめの対象になりやすいという。

また、女性による女性へのいじめについては、

女性は待遇等の差に対しより敏感に反応する[2]
男性が重要な職に就き、女性がその補助に就くという形式が多いため、一人の女性に少しでも他の女性と違う仕事をふると、それに反応していじめが起きる[2]
とする意見がある。

対策
会社には労働者が快適に働けるように職場を管理する義務が存在する。会社は労働者が働きやすいように職場環境を安全・快適に保つ必要があり、このことを日本では職場環境配慮義務と呼ぶ。

セクハラが男女雇用機会均等法によって規制、意識の浸透が行われたことから、職場のいじめを少なくするためにパワハラも法律による規制が必要、と言う意見がある[3]。

他には、管理職に研修によって教育を行う必要性もあげられている[3]。

欧州
欧州では、EUの2001年に欧州議会が欧州委員会に宛てて職場いじめへの対策を求める決議を行った[5]。

欧州議会の報告書によれば、約8%(報告書当時で、約1200万人)の労働者がいじめを受け、職場におけるストレスや欠勤などの経済損失が生じているという(この報告書では、いじめを暴力、セクシャルハラスメントとは別のものとして定義している)[5]。法制面については、既存の指令がある程度の部分をカバーできるとした上で、心理面へのフォローを提案している[5]。

欧州の各国の対応状況については、以下のとおり。なお、法律名については、出典で使用されている名称を使用した。

スウェーデン - 「差別禁止法」(2003年)、「平等待遇法」(2005年)(ただし、政令では1993年の「職場における迫害に対する措置に関する政令」において、職場いじめを迫害に含め、罰金または懲役を規定している[5])[6]
ベルギー - 「労働福祉法」(1996年)の2002年改正[6]
イタリア - 憲法32条に基づき立法を審議する中で、個人による対象者への嫌がらせにとどまらず、企業による組織的行為(従業員を減らしたい場合に、解雇するよりも自発的に退職してくれた方が都合が良いので、退職するよう圧力をかける行為)への規制を検討[6]。

挙証責任
職場いじめを訴えた場合の挙証責任については、被害者側により求めるケースが多いが、加害者側に求めるケースもある[6]。これについて、「被害者側の負担が大きいから、加害者側にも責任を課す規定が必要である[6]」、「加害者側に求める場合、「いじめがあったと訴えること自体がいじめになる」として慎重な対応を求める」(前述の欧州議会の報告書)[5]といった意見を一例として記載する。

職場いじめに関する作品
聖者の行進 (テレビドラマ) - 障害者の従業員に対する虐待シーンがあり、物議をかもした。水戸事件を元ネタとしている。
ラスト・フレンズ - 主人公が勤務する美容室で先輩にいじめられるシーンがある。
愛という名のもとに-倉田篤(中野英雄)が杉本課長(加藤善博)にいじめられるシーンがある。非常に激しい。
ハケンの品格 - 主人公と同じ派遣社員の同僚が、正社員に責任転嫁や嫌がらせを受けるシーンが多い。

2009年01月17日

民族叙事詩は民族(国民)の起源

国民叙事詩、英語:National epic)とは、特定の国民(国民国家である必要はなく、独立ないしは自治を望む民族的・言語学的な集団も含む)の本質・精神を表現することを目指した、あるいは表現したと信じられている叙事詩、あるいはそれに類似した作品のこと。民族叙事詩は民族(国民)の起源を、その歴史の一部として、あるいは他のナショナル・シンボル(National symbol)などのような民族(国民)的アイデンティティの発展の中での出来事として物語ることが多い。広義では、民族叙事詩は単純にその民族(国民)の人物・政府が特に誇りに思う国語で書かれた叙事詩を指す。
トロイアの滅亡に始まり、ローマ国家の誕生までを描いたウェルギリウス作『アエネイス』はホメーロス作『イーリアス』のローマ版と見なされている。一般の歴史概念によると、帝国は過去と現在の間に存在する有機的な連続と対応の中で生まれ死ぬ。王がアレクサンドロス3世(アレクサンダー大王)やガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)といった過去の偉大な指導者と肩を並べたいと望む時、詩人たちは新しいホメーロス、ウェルギリウスになりたいと望む。16世紀、ポルトガルの詩人ルイス・デ・カモンイスが『ウズ・ルジアダス』の中で自国の海軍力を賛美すれば、フランスの詩人ピエール・ド・ロンサールは自国民の祖をトロイアの王子たちまで遡る、『アエネイス』のゴール人版『フランシアード』の執筆に取りかかった[1]。

しかし、民族(国民)的なエートスの出現は、ナショナル・ロマンティシズムから生まれたとおぼしき「民族叙事詩」という語の誕生に先行する。明らかな民族叙事詩がまだ現れていない時、ロマン主義精神はそれを作らねばという意欲を起こさせる。民族(国民)的神話の中の溝を埋めることを創案した初期の詩には、ジェームズ・マクファーソンの叙事詩サイクルのオシアン詩集がある。オシアンはこの詩の語り手であり想像上の作家で、マクファーソンはこの詩をスコットランド・ゲール語の古文書から翻訳したと主張した。もっとも、マクファーソンのオシアンを含む多くの民族叙事詩は19世紀のロマン主義に先立つものである。

20世紀初頭、「民族叙事詩」という語はもはや必ずしも叙事詩に対して使われるものではなくなった。民族(国民)の歴史的背景のディテールを必ずしも持たなくとも、読者ならびに批評家が民族(国民)文学の象徴であると認める文学作品を表すものとなった。その文脈において、民族叙事詩という語は疑いもなく建設的な含意を持つ。たとえば、ジェームズ・ジョイスは『ユリシーズ』の中で、『ドン・キホーテ』はスペインの民族叙事詩だが、アイルランドではまだ民族叙事詩は書かれていないということをほのめかした。

民族叙事詩の例

アフリカ
エジプト(古代)
シヌヘ物語(Story of Sinuhe)
マリ共和国
スンジャータ叙事詩 - スンジャータ・ケイタ(Sundiata Keita)の叙事詩。

アメリカ
アルゼンチン
マルティン・フィエロ(Martín Fierro)- ホセ・エルナンデス作。
チリ
ラ・アラウカーナ(La Araucana - アロンソ・デ・エルシーリャ(Alonso de Ercilla y Zúñiga)作。

アジア
アルメニア/ 9世紀の大アルメニア
サスナ・ツレル(Sasna Dzrer) - サスンのダヴィト(David of Sasun)が主人公。
インド亜大陸
マハーバーラタ
ラーマーヤナ
インドネシア
カカウィン・ラーマーヤナ(Kakawin Rāmâyaṇa)
Ramakavaca(ラーマーヤナ)
イラク
ギルガメシュ叙事詩
イランおよびアフガニスタン、パキスタン、タジキスタン
シャー・ナーメ
カンボジア
リアムケー(Reamker) - 『ラーマーヤナ』に基づく。
キプチャク(タタールスタン共和国など)
チョラ・バトゥル(Chora Batir)
キルギス人
マナス
タイ王国
ラーマキエン(Ramakien) - 『ラーマーヤナ』から派生。
チベット
ケサル叙事詩(Epic of King Gesar)
フィリピン
Maradia Lawana(ラーマーヤナ)
フロランテとラウラ(Florante at Laura) - フランシスコ・バラグタス(Francisco Balagtas)作。
ラム=アン(Biag ni Lam-ang) - イロカノ語。
Indarapatra at Sulayman
ベトナム
アウラック神話(Âu Lạc)
金雲翹
陸雲仙(Luc Van Tien) - グエン・ディン・チェウ(Nguyen Dinh Chieu)作。
マレーシア
ハン・トゥア物語(Hikayat Hang Tuah)
ムラユ年代記(マレー年代記、Malay Annals)
ヒカヤット・スリ・ラーマ(Hikayat Seri Rama) - 『ラーマーヤナ』のマレー語版。
ミャンマー
Yama Zatdaw - 『ラーマーヤナ』のビルマ語版。
モンゴル族(カルムイク人およびオイラト)
ジャンガル叙事詩(Epic of Jangar)
ラオス
Phra Lak Phra Lam - 『ラーマーヤナ』のラーオ語版。

ヨーロッパ
アイルランド
クーリーの牛争い
アルバニア
Lahuta e Malcís - ジェルジ・フィシュタ(Gjergj Fishta)作。
イタリア
神曲 - ダンテ・アリギエーリ作。
イングランド
ベオウルフ
エストニア
カレヴィポエク(Kalevipoeg) - フリードリヒ・レインホルト・クロイツヴァルト作。
カタルーニャ
カニグー(Canigó) - ジャシント・ベルダゲー(Jacint Verdaguer)作。
ギリシャ(古代)
逃走の大地 ロゴス クキン タラン ハンマー ベニア 琥珀の月 ガブリエル アフタン フリーダム アイド いせい レインボー カスタ シャックル 天応最適 スポー マンバ てんびん ミュンヘン ガラニン ドリン ブルドー 春玉 バンニン 青い ドレス ブラン ビデオ メンタリ サーペント ビットト ドルフィン ピクトブ ルドベ サーコー 市松模様 ミントン マルタ リタイ バッテ ブラシ トルコ石 ネート オフチュ シンド ウース ミツマタ ラッシュ ちずい魚

イーリアス - ホメーロス作。
オデュッセイア - ホメーロス作。
ギリシャ (東ローマ帝国)
ディゲニス・アクリタス(Digenis Acritas)
グルジア
豹皮の騎士 - ショタ・ルスタヴェリ作。
クロアチア
Smrt Smail age Čengića -イワン・マズラニク(Ivan Mažuranić)作。
古代ローマ
アエネイス - ウェルギリウス作。
スカンディナヴィア/アイスランド
古エッダ
スコットランド
The Brus - ジョン・バーバー(John Barbour)作。
オシアン詩集 - ジェームズ・マクファーソン作。
スペイン
わがシドの歌
ソルブ人
Nawozenja - Jakub Bart-Ćišinski作。
ドイツ
ニーベルンゲンの歌
ハンガリー
シゲトの危難(Szigeti veszedelem) - ズリーニ・ミクローシュ(Miklós Zrínyi)作。
フィンランド
カレワラ
フランス
ローランの歌
ポーランド
パン・タデウシュ物語(Pan Tadeusz) - アダム・ミツキェヴィチ作。
ポルトガル
ウズ・ルジアダス(Os Lusíadas) - ルイス・デ・カモンイス作。
ラトビア
ラーチュプレーシス(Lāčplēsis) - Andrejs Pumpurs作。
リトアニア
四季(Metai) - クリスティヨナス・ドネライティス(Kristijonas Donelaitis)作。
ルクセンブルク
Rénert the Fox - Michel Rodange作。

散文叙事詩
厳密には叙事詩ではないが、散文作品の中にも、民族(国民)意識のうえで重要な位置を占める作品がある。

アイスランド
スノッリのエッダ - スノッリ・ストゥルルソン作。
アメリカ合衆国
怒りの葡萄 - ジョン・スタインベック作。
ハックルベリー・フィンの冒険 - マーク・トウェイン作。
アラバマ物語(To Kill a Mockingbird) - ハーパー・リー作。
イギリス
ブリタニア列王史 - ジェフリー・オブ・モンマス作。
イスラエル
タナハ (旧約聖書)
ウェールズ
マビノギオン
エチオピア
ケブラ・ネガスト(Kebra Nagast)
スウェーデン
移民(The Emigrant Cycle) - ヴィルヘルム・ムーベリ(Vilhelm Moberg)作。
スペイン
ドン・キホーテ - ミゲル・デ・セルバンテス作。
中国
封神演義
三国志演義
水滸伝
朝鮮
三国遺事
テュルク
アルパムス(Alpamysh) - 中央アジア全域。
デデ・コルクトの書(Book of Dede Korkut) - オグズ族(Oghuz)、アゼルバイジャン、トルコ、トルクメニスタン、イラクのトルコマン人 Iraqi Turkmen、中央アジア、その他のテュルク民族)。
オグズ・ナーメ (Oghuz-nameh) - オグズ族、アゼルバイジャン、トルコ、トルクメニスタン、イラクのトルコマン人。
エルゲネコン伝説(Ergenekon legend) - トルコ。
キョロール叙事詩(Epic of Köroğlu) - アゼルバイジャン、トルコ。
クタドゥグ・ ビリグ(Kutadgu Bilig) - 中央アジア、ウイグル人、その他のテュルク民族。
日本
古事記
日本書紀
フィリピン
マラグタス(Maragtas) - ペドロ・アルカンタラ・モンテクラロ(Pedro Alcantara Monteclaro)作。
ノリ・メ・タンヘレ(Noli me tangere) - ホセ・リサール作。
エル・フィリブステリスモ(El Filibusterismo) - ホセ・リサール作。
Mga Ibong Mandaragit - アマド・V・ヘルナンデス(Amado V. Hernández)作。
フィンランド - フィンランディア ジャン・シベリウス作の交響詩にヴェイッコ・アンテロ・コスケンニエミが詩をつける。
フランス
レ・ミゼラブル - ヴィクトル・ユーゴー作。
フランドル
フランデレンの獅子(De Leeuw van Vlaanderen) - ヘンドリク・コンシャンス(Hendrik Conscience)作。
ポーランド
Stara Baśń - ジョセフ・イグナツ・クラスゼフスキ(Józef Ignacy Kraszewski)作。
Trylogia - ヘンリク・シェンキェヴィチ作。
農民(Chłopi) - ヴワディスワフ・レイモント作。
マヤ文明
ポポル・ヴフ(Popol Vuh)
モンゴル国
元朝秘史
リトアニア
アニイクシュチェイの松林(Anykščių šilelis) - アンタナス・バラナウスカス(Antanas Baranauskas)作。
ロシア
イーゴリ軍記(Slovo o polku Igoreve)
ザドンシチナ(Zadonshchina)
戦争と平和 - レフ・トルストイ作。